明智八王子神社本殿前には、明智光秀建立と伝わる柿本人麻呂神社がある。その祠前には光秀手植えと伝わる楓の老木があり、秋には見事に紅葉する。
明智町は数ある生誕地の中でも、光秀に関する伝承が一番多く語り継がれている。江戸時代、朱子学を採用し忠義と上下関係を重んじる政治を行った徳川幕府に、親衛隊、中枢旗本として重用された明知遠山氏は、本能寺の変を起こした光秀が一族であることを、意図的に徹底的に消し去った歴史がうかがえる。
信頼できる伝承の中には、織田信長が武田信玄との決戦を前に、街道一の弓取り」と言わしめた遠山氏の主である遠山景行と、光秀の叔父である明智光安は同一人物と記述する書物もある。八王子神社と光秀の因縁は深い。
