八王子神社 歴史と祭礼

岐阜県重要文化財   明智八王子神社

1676(延宝4)年、旗本明知遠山氏4代 遠山(とおやま)伊次(これつぐ) 再建

明智八王子神社江戸神田明神の関わり

平安時代、949(天暦3)年創建である。

戦国時代、1574(天正2)年、武田勝頼の東美濃侵攻(明知城の戦い)により焼失。その後、領主の遠山氏により造営が繰り返されたのである。

現在の社殿は1676(延宝4)年、旗本明知遠山氏4代の遠山伊次が再建。跡継ぎのいない遠山伊次が八王子神社で男子出生を祈願したところ、男子が誕生。感謝して、江戸神田明神の社殿の図を写し如実に新造の事を八王子神社神職与太夫に約束したのである。(旗本明知遠山氏陣屋史料「明知年譜 乾」)

社殿は、本殿と幣殿、拝殿が一体的に配置された権現造り。江戸時代初期の社殿建築の貴重な遺構として1975(昭和50)年、岐阜県重要文化財に指定されたのである。

江戸神田明神は、徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)に臨む際に必勝祈願をしたと伝わり、徳川氏と親戚の明知遠山氏は家康に付いて戦ったのである。

関東大震災(大正12年)で焼失前の神田明神
明智八王子神社(現社殿)の間取り図