明智光秀公産湯の井戸 土岐明智城(多羅砦)跡 案内図

55年後の「本能寺の変」は、ここから始まった!

北方向から見た多羅砦(土岐明智城)の出丸。 山頂付近の木が伐採された箇所は切岸(急斜面に加工して造成した人工の断崖)

明智光秀は、享禄元年(1528年)3月10日、土岐明智城(多羅砦)で誕生した。
 主郭は見晴らしがよく、三河(北条、今川、松平、三宅)、中馬街道(織田、森)、信濃(武田、真田)等の動きをいち早く見える絶好の場所である。

多羅砦の南側を通る南北街道から主郭へ向かう大手道。

 室町時代の美濃国明智村の勢力圏は、明知城(白鷹城)が明知遠山氏の勢力圏であり、土岐明智城(多羅砦)は仲ノ深山砦とともに土岐明智氏の勢力圏であった。
江戸時代の美濃国絵図には多羅砦辺りに多羅子という地名が見られ、それ以前は多羅郷と呼ばれていた。明智光秀は、美濃国多羅砦で生まれたという伝承も残っている。

多羅砦の主郭周辺
3の曲輪に残る明智光秀産湯の井戸。(直径約2m、深さ約16m)