武田勝頼が陣を構えた「愛宕山一夜城」

天正2年(1574年)、武田信玄亡き後、嫡男勝頼が遠山荘の諸城を攻めたが、武田氏の家臣である秋山信友が明知城を攻めた際、難攻不落の城で攻めきれないことから策を練り、安住寺・農家の戸障子等を立てて白壁のように見せかけ、一夜のうちに城を築いたことから「一夜城」と呼ばれたという。
白壁の後ろに武田勢の「風林火山」の旗を数多く見た明知城の兵300余と救援のための織田信長の兵200は、いつの間に城を築き上げたのかと戦意を失い城を捨てた。城主の遠山一行と遠山利景は徳川家康を頼り三河へ逃れ、女中等は城の麓で自決した。(自決の場所は、かつて「刀塚」と呼ばれ東町地内にあった。)初勝利を挙げた武田勝頼は、これを機に三河へ侵攻した。
【一夜城の概要】
岐阜県恵那市明智町杉野地内の標高724メートル、比高約180メートルの大平山に築かれ、明知城(白鷹城)から見ると北北東の方角約2.5キロメートルに位置する。
遺構は東西約140メートル、南北約80メートルの範囲に広がる。
山頂付近には5段ほどからなる曲輪状の平坦地が認められ、所々に切岸による傾斜地が見られる。北東には尾根を切り欠いた幅約7メートル、深さ約2.5メートルの堀切が設けられている。



愛宕山一夜城への案内図
