明智町市街地中心部から北西へ直線距離にして約2.2㎞の地点に、標高732mのすわがね山(正式名称:鶴岡山)がある。
白鷹城(明知城)、一夜城、土岐明智城(多羅砦)、仲ノ深山砦、明智盆地を一望できる山頂の砦である。
天正元年(1573)、武田信玄の家督を継承した武田勝頼軍が緒戦に選んだのが前年失った遠山領の奪還で、天正2年(1754)、岩村城から明智盆地の北東にある一夜城に拠点を移し、遠山一行の守る明知城へ攻勢をかけた。
一方、織田信長は濃尾の織田一族に総出陣の号令をかけ、勝頼の拠点の一夜城、そして遠山一族の籠城する明知城が一望できる、このすわがね砦に陣を張り武田勝頼との決戦に臨むべく準備した。生誕の地であり地元明智に詳しい部下の明智光秀を呼び寄せ準備を行ったと言われている。すわがね砦には、堀切や腰曲輪などの遺構が今も当時のまま残されている。
開戦の火蓋が切られる前に、籠城中の明知城内で飯羽間友信の謀反が起こり、織田信長は遠山領の防衛を諦め、岐阜へ帰還した。
山頂には、侵攻して勝利した武田勝頼への忖度なのか里人が造った諏訪明神の石の祠が2基鎮座している。
山頂からは南西方向に、豊田市を中心に西三河平野が一望でき、三河湾、知多半島、伊勢湾、志摩半島に至る景色を楽しむことができる。また、麓の小泉集落からは山頂へ繋がる古道がある。現在は登山道として整備されており、訪れるハイカーに「歩き易い」と好評である。